勤労の義務

もちろん、派遣村に集った人達には多くの「本当にまじめに働こうとしている人たち」がいることでしょう。そういう人達が「働くことができない」状況に陥っていることに対して、当然政治には責任があります。それを棚にあげたこのような発言は、無責任の極みというほかありません。

その上で思うのは、25条は「すべて国民は」と言っているのであり、「本当にまじめに働こうとしている国民は」などとは言っていない、ということです。「すべて」とは、本当に「すべて」であるはずです。

(中略)

先の見通しが甘かった人も、愚かものも、堪え性がなくすぐに仕事をやめてしまう人も、身体の弱い人も、仕事を選り好みする人も、怠け者も、努力の足りない人も、勇気がない人も、人生設計など何も考えていない人も、マナーの悪い人も、他力本願の人も、あらゆる人が人間らしく生きていけるようにするべきです。本当にすべての人が「人間らしく生きる」ことができる社会を作るのが政治の役割でなかったとしたら、一体何のために政治があるのか。

すべて国民は - good2nd

でも全ての国民に勤労の義務もあるよね。

各個人が働かない人間に対してどういう印象を抱こうと自由だけど、政治家や官僚が働く気のない人間に働けよと言うのはむしろ正しく役割を遂行していると言える。働かない人間だらけになったら社会が回らない。

今回の坂本哲志総務政務官の発言の一番の問題点は、どんな人がいるのかもわかってないのに、集まっている人たちを十把一絡げにして思慮の浅い批判をしてしまったこと。

「すべての人が幸福に...」とか言いたくなる気持ちはわかるけど、働く気のない人間が働かないまま物質的/精神的に満たされた生活を送れるようにするべきだとは思わない。勤労しないことを認めるということは、「最大多数の人が快適に」生活するための元手となるお金を削ぐことと等しい。働かない状態を維持したいと思わせないことが重要だ。職を探し支障無く社会に復帰できるようにはするべきだが、最低限度人間として暮らせるようにする程度で、快適に安住させるべきではない。予算も場所も時間も人も限られている。

限定的なリソースの中で残酷なトレードオフがそこら中で存在するのが現実だが、こういった局面で利害の対立するステークホルダーの多くを納得させる能力こそが政治力だと思う。そういう点で今回の発言は政治家としてイマイチだった。あの発言に本質的な意味はない。安直な批判に対する批判を生むだけだ。